石垣島アクティビティ|“風も音もない”マングローブの中で過ごした静寂の時間
石垣島の夜、風が止まり音が消えた瞬間
日中は鳥の声や虫の音、潮の満ち引きで動く葉の揺れなど、自然は常に何かしらの音を奏でています。けれど、石垣島の夜のマングローブに足を踏み入れたある時間帯、まるで世界の音がすべて止まったかのような静寂に包まれることがありました。カヤックでゆっくりと奥へ進むと、風すら感じない無風状態に。葉も揺れず、水面も鏡のように静まり返っていて、自分の存在すら自然に吸収されるような不思議な感覚が生まれていきます。
静けさの中で浮かぶ“本来の感覚”
このような“音が一切ない”状況に身を置くと、普段どれだけ音に囲まれて生きているかを実感します。人間の耳は何かを探し続けるようにできているのか、音がないと最初は少し不安に感じることもあるかもしれません。ただ、それもほんの一瞬。次第に心が落ち着いてきて、むしろ「何もないこと」が安心感へと変わっていく瞬間が訪れる可能性もあります。その時感じたのは、カヤックの上に浮かぶというより、“自然に溶けていくような体験”でした。
マングローブの中に感じる包まれた空間
マングローブの林は、夜になるとさらに深みを増します。昼間は太陽に照らされた根の形や水のきらめきが目に飛び込んできますが、夜は視覚の情報が少なくなり、空間そのものの“気配”に意識が向くようになります。ライトを消した瞬間、まわりがただの黒い影となっても、マングローブの枝がまるで腕のようにこちらを包んでくれるような感覚になることがあります。これは決して怖さではなく、どこか守られているような静かな安堵感に近いものでした。
漕ぐ音すら止めたときに感じたこと
夜のアクティビティ中、誰もが静かにパドルを動かしていましたが、一度全員が漕ぐのをやめ、漂うだけの時間がありました。波もなく、風もない。木々も音を立てない。そんな完全な静寂の中で、唯一聞こえていたのは自分の呼吸の音と、心の中の声のようなものでした。普段なら気づかないような「内側の気配」が浮かび上がってくるのは、こういった特別な状況だからこそ可能になるのかもしれません。
声を発することができなかった理由
「ここで話したくない」と思わせる空気があります。自然の持つ静けさに無理に言葉をのせたくない。そう感じる場面がいくつかありました。ガイドの方がそっと「ここは静かに感じてみましょう」とだけ囁いた場面では、誰一人言葉を交わすことなく、ただ耳と肌で自然を感じようとしていたように思います。沈黙の中でも心はつながっていて、それが“体験”という言葉をより深い意味でとらえる瞬間になっていたのかもしれません。
“動かない自然”の中にいるという特異な状況
夜、風が吹かず、水も流れず、木々も動かない時間というのは、石垣島でもそれほど多くはないといいます。この日体験できたその“動かない自然”の中でのアクティビティは、まさに貴重なものだったと感じました。自然はいつもダイナミックに変化しているものというイメージがありますが、時に、静止した自然が持つ力の大きさに圧倒されることもあるのだと、改めて感じさせられた時間でした。
見えないものを“感じる”ことの価値
暗闇の中、視覚を失い、音もない。そんな状況で唯一頼りになるのは、身体の感覚そのもの。空気の湿度、温度の変化、肌をかすめる微かな揺れ。これらが、視覚や聴覚以上に“場の情報”を教えてくれるようになります。この“感じること”に意識が向いた体験は、現代のように情報過多な生活の中では、なかなか得られない時間だったと感じています。マングローブという自然の懐に身を置き、五感の奥底を目覚めさせるような瞬間でした。