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石垣島アクティビティ|“子供のような気持ち”に戻れた体験

なぜか笑っていた。それは“大人の旅”じゃなかったから

石垣島でのアクティビティ体験の中で、思い返すだけで笑みがこぼれるような瞬間がいくつもあった。大人になってからは、効率を考え、計画を立て、予測できる体験を好むようになっていた。でも、石垣島の自然と向き合う時間の中では、そんな思考がどこかに消えていった。ただ夢中になる。何かを期待するのではなく、今この瞬間を楽しむ。その感覚は、まさに“子供のような気持ち”そのものだった。今回は、童心を取り戻せたような石垣島アクティビティを紹介する。

SUP体験|落ちても笑える。それが“遊び”だったと気づかされた

初めてのスタンドアップパドル(SUP)では、うまく立てず何度もバランスを崩して水に落ちた。でも不思議なことに、悔しさや恥ずかしさではなく、純粋に“楽しい”という気持ちがこみ上げてきた。水の冷たさ、立てた時の達成感、風に吹かれてふらつく感覚——すべてが新鮮だった。誰かに見せるためでもなく、上達を目指すでもなく、ただ“できないことすら面白い”という感覚は、子供のころの遊びと同じだった。自然の中で自由に動ける喜び。それだけで心が満たされた。

カヤック|目的もゴールもない。漕ぐこと自体が楽しかった

マングローブを進むカヤックは、何かを見るためではなく、ただ漕ぐだけでも十分だった。前に進めば進むだけ景色が変わる。曲がれば新しい流れが見える。水面の揺れ、木の影、鳥の声。それらを感じながらパドルを動かしているだけで、時間の感覚が薄れていった。ゴールを目指すわけでもなく、「どこまで行けるかな」とワクワクしながら進んでいたのは、まさに“探検ごっこ”のようだった。気がつけば、笑いながら「もう一周していい?」と聞いていた。

シュノーケル|色と動きに心が追いつかなかった瞬間

海の中で見たカラフルな魚たち。名前もわからないし、形も複雑で、ずっと見ていても飽きなかった。近づいたと思ったら逃げる、と思ったら戻ってくる。そんな生き物たちの自由な動きに、心がついていけず、ただ「すごい」「きれい」という言葉しか出てこなかった。カメラも持っていたが、ほとんど使わなかった。見ていたいという気持ちのほうが強かった。頭ではなく、感覚だけで楽しんでいる。そんな状態に気づいたとき、「あ、今、自分は子供に戻ってる」と実感した。

星空観察|寝転んだまま、黙って空を見ていたあの夜

満天の星空を見に行った夜、説明を受けたあと、ガイドが「しばらく自由にどうぞ」と言った。誰もが寝転がり、黙って空を見上げていた。何かを探すでもなく、何かを知ろうとするでもなく。ただ見ている。子供のころ、家族旅行で星を見て「ずっと見ていられるね」と言ったことを思い出した。あのときと同じ感覚だった。今の自分には、星を分析したり記録するツールもあるけれど、この時間にはそれが要らなかった。ただ「すごいね」って、素直に思えた。

浜辺の散策|貝殻や石を集めていた理由なんてなかった

誰もいない浜辺を歩いていたとき、気づけばしゃがんで貝殻を拾っていた。特に珍しいものではない。ただ、形がきれいだったり、色がかわいかったり。それだけの理由で夢中になっていた。持ち帰ることもないのに、いくつも手に取っては並べてみる。その行為自体が楽しくて、「子供ってこういうことしてたな」とふと思い出した。なぜかその時間だけ、時間の流れが止まったように感じた。貝殻よりも、その“何も考えずに拾っていた自分”が愛おしかった。

パラセーリング|空の上で「わー!」と叫んでいた

パラセーリングで上空に舞い上がった瞬間、思わず声が出た。「うわー!」「すごいー!」——誰に聞かせるでもない声。抑えきれない感情がそのまま口から出ていた。高いところが得意なわけではない。でも怖くなかった。風の音、海の色、空の広さ。そのすべてが“非日常”で、でも“安心”でもあった。子供のころ、初めて自転車に乗れたときの感覚に似ていた。地面から浮いたことで、気持ちが空まで自由になった。それを表現する言葉なんてなかった。ただ、ずっと「わー!」って叫んでいた。

まとめ|“夢中になれた時間”は、何よりも大人の心をほどいた

石垣島のアクティビティは、どれも大人が“しっかり計画して選ぶ”ものだった。でも、いざ体験してみると、その場の空気と自然の流れに乗って、どんどん心がほぐれていく。そして、気づけば夢中になっていた。うまくやろうとか、誰かに見せようとか、そういう考えが一切消えていた。夢中になれるということは、“無防備になれる”ということ。防御を解いた心に入ってきた石垣島の景色は、今も色鮮やかに残っている。子供のように笑っていたあの瞬間が、旅の中でもっとも価値のある時間だった。

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